振り返り

他人に褒められたい!のほかに動機はないの?

過去の自分はこのように語っております。

昔から淡い、淡すぎる、自覚した時には終わってる。いろんな意味で。

んー淡い気持ちばかり抱いてきました。気になる人ができても、それは私が自覚しなければ恋じゃないと思って生きてきたんです。正直振り返ると、そこそこの数の恋をしてきたと思う。認めちゃうとね、そうだね。もう思い出だからね。だけどそれも気になるな、とか他の人より話してて面白いな、くらいの思いに裏打ちされた気持ちだったから、告白するほどのMotivationも勇気もなく、付き合うとかいう、そんなわかりやすい関係にはなれる気がしなかった。そうだね、自分に自信がないころだったから、モテるっていう感覚をちょっと知ってみたかったんだろうね。それこそ、他人に評価を求めていた、あの頃の私らしい。

他人に褒められたい!のほかに動機はないの?


他人に評価を求める、で思い出したことがあります。
受験のために今まで学んだことや達成したことを分析する機会があった。そのときに一回書いてみて、自分でも驚いた。今まで私が嬉しいと思ったことは、相手のために何かして、お礼を言われて嬉しかったとか、これこれこうして褒められて嬉しかったとか、他人が関わっていた。というか他人に帆も得られて嬉しかったというエピソードばかりで、他人の評価に依存して生きている、他人の評価に飢えている、自分のなしたことでは自分を満足させられない、自分で自分の機嫌を取れない、そんな人間だという印象を受けた。
なんだか、すごく幼いなーと思った。この下書きは誰にも見せられない、見せたくないと思った。褒められたいだけの、厚みのない人間だとバレてしまうと思った。

で、それ以外の書けるネタを必死で探して入試は乗り越えたわけなんですけども。それがひとつのきっかけでしたねー自分は人に褒められることが好きで、それを行動原理とする場合がある。そうして初めて自分を認めている節があると気づきました。人に褒められるような行動をするのはいいことだけれど、そればかりを考えていては、自分の行動が予想に反して他人に褒めてもらえなかったときにとてもしんどくなる。自分を認められなくなる。

想像してみたんです。もっと大きくなって、例えば30代になって、相手に喜んでもらおう、褒めてもらおうと思って行動したのに、期待した反応が得られなくて、そんな状態では自分の頑張りを自分で認めることもできなくて、ただただ途方に暮れる。宙ぶらりんになる。そんな自分の姿を、想像してみたんです。


とてもいやだと思いました。もっと自分を大事にしたい、自分でも自分を満足させてあげたい、認めてあげたい、自分の行動の理由は相手からの見返りではない、自分の取る行動は自分で考えて決めたことだと、胸を張って言えるようになりたい。そう思いました。

それから具体的に自分がどう変わったのかは定かではありません、この気持ちを常に意識し続けていたわけでもなければ、具体的に記録していたわけでもないので。
それでも、自分がしたいと思ったことには積極的に取り組もう、自分の行動に責任をもとうという意識は生まれました。社会的な「人間」という生き物に生まれついたうえは、他人と関わることは避けられないし、他人に何かを求めてしまうのは当然だと思う。だけどなんというか、そればっかりに支配されたくはないというか。あくまでも今この瞬間ここに立っている主人公は自分であって、その自分が意図して相手を登場させているというか。うまく言えないけれどとにかく、自分という存在をもっと重要視したいと思ってっていう感じかなー

大学に入って、自分で考えて行動しなければいけない機会が増えました。どんな授業を取るか、どういうスタイルで授業を受けるか、いつどこで食事するか、課外授業を受けるかどうか、など… 少なくとも今までに私がとってきた行動はすべて、私が決めてやったことです。わたしがやりたかったことかといわれると、すべてがそうではありませんが、ほとんどがやりたくてやったことです。それに少なくとも、相手に褒められることを前提として何かに取り組むことはなくなりました。他人の評価は結局、後からついてくるものなんですよね。自分が頑張って、何かに取り組んでいるその瞬間には、他人が私をどう評価するかなんて不確定で、私が知りようもないことです。本当に、後からついてくるんです。

大学生になった今、昔の友人たちと当時を振り返って、さらに情報が出てくる出てくる。様々なエピソードが。当時自分は何も考えていなかったけれど、思わぬところで人の評価(良いものも悪いものも)を受けていたとか。ああ、本当に評価なんて後からついてくるし、振り返ってみないと分からないものだなあと思いました。