因果応報?
お付き合いをしている相手が、そろそろ自分もバイトをしてみようかと言い出した。今まで学校が忙しかったけれど、今学期は余裕ができそうだから何か試してみようと思う、と話してくれた。
そのとき私は、自分勝手ながら思った。バイトに時間を取られて、一緒に遊ぶ時間が減ってしまうのかな、それは少し寂しいなと。相手に寂しい思いをさせてまでバイトをしていた自分のことは棚に上げて。
彼に対しては素直でいることを心掛けているので正直にその気持ちを伝えてみた。するととても嬉しそう。今日一番の笑顔かもというくらいのニヤつきぶり。
さみしいと思うの?どうして?会う時間が減るかもしれないから?自分の知らない新しい交友関係が俺にできてしまうから?俺が違う世界に行ってしまうような気がするから?
立て続けに言われて私はびっくり。普段ここまですらすらと気持ちを言語化することがあまりない人だと思っていたから。
その時は、「別に深くは考えていない」「交友関係が広がるのはいいことだし、バイトで新しい経験ができるのはとてもいいことだと思う」「単純に、会う予定を合わせにくくなってしまうのかな、それで会う回数が減ってしまったらさみしいな」ということを伝えた。
けれど後から思った。
彼がすらすらと挙げた「さみしい」の理由は、ひょっとして全部、彼が抱いたことのある思いなのかもしれない。私がバイトをしている間、そんな風に思わせていたのかもしれない。彼がそれだけすらすらと「さみしい」の理由を挙げられるくらいには、「さみしい」思いをさせていたのかもしれない。
自分が主体の時は気持ちをはっきり言えなかったり言い出しにくかったりするけど、いざ相手が同じような状況に置かれたときに出てくる発言、相手の状況に対する共感の言葉たちは、実はその前に自分が経験した感情から生まれた言葉たちなんだと思う。他社は自分の鏡というか、投影先というか。本当にその通りだ。
相手がくれる言葉から自分が見えることもあるし、その言葉の奥に相手が見えることもある。なんか、人間と人間とのかかわりって面白いなあ。
とにかく、今周りにいてくれる人を大切にしたいなあ。