自分、さては感化されやすいな。
久しぶりに図書館に行ってみた。
最寄りの図書館でも家からはそこそこに距離があって、普段はなかなか足を運ばない。ましてこの暑い中では…より行きたくない。
それでも本を読みたいのは確かだし、サブスクで読める本のジャンルには偏りがあるように思われるというか、読みたい!と思うものがあまりなかったりする。
本を選ぶときは、そのタイトルを見る。平積みの場合は表装を見る。結構視覚的に判断する。本屋でもそうやって本を探すのが好き。でも目についた本を片っ端から購入するわけにもいかない。だからそういう、本に対する「狩猟本能」みたいなものを満たすには、図書館は都合が良い場所だ。
で、そこで久しぶりに友人を見つけた。フリースペースで読書をしているようだった。
その友人と私は地元で唯一、通ってきた教育機関が全く同じ存在。さすがに大学に入ってからは接触回数が減ったけれど、昔から今に至るまで尊敬すべき存在であり心の奥底にずっといるライバル。昔から意識してきて、彼女の振る舞いをたくさん真似してきた気がする。彼女と久しぶりに話したりすると、自分よりずっと深い考えや将来への展望を持っていて、普段の生活に対する態度や家族との接し方など、つくづく感心させられる部分が多い。
彼女と話した後は、あらゆることに対するモチベーションが上がるので(一時的に)、その隙をついていろいろなことを始めるだのギアを上げるなどするとよい。
例によって今日も、ただ図書館で読書する彼女の姿を見ただけなのに。
「かっこいいーーーー!」
とにわかに思って、いつも通り借りようとしていたたくさんの推理小説に加えて、数学のトリビアだとか人体の不思議だとか、自分の知識の肥やしになりそうな本を借りてしまった。ほんまに読むんかというツッコミは無視する。
どうしてそういう行動をとるに至ったのか…
彼女は昔からとても優秀で、目的を達成するためにちゃんと手順を踏んで努力する人だった。そんな彼女にあこがれて、またそんな彼女と同じレベルに居られたら、自分も自分のことを認められると思って、自己肯定感を維持できると思って、彼女を追いかけた。教育課程のかなり最後のほうまで同じ進路を選択していたことも、私の追いかけ癖に火をつけた。自分が彼女と同じレベルにいるのかそうでないのか、明らかにわかってしまうからこそ、必死になった。
流石に今は進む道も異なるから、昔ほど強烈な気持ちを抱くことはない。でも着火剤には十分なる。彼女は今でも努力を重ねている。気っと目標も色々変化しているだろうけど、それでもその時々の目標に向けて進んでいるんだろう。
こんなに簡単に周りに影響されるなんて…それだけ他人を意識しているということ。さすがにマシになったと思っていた負けず嫌いや他人と比べる癖は、やっぱり根深く残っているようだった。
だからこの気持ちをうまく昇華して、自分の利益になるような行動に注力出来たらいいんだよなー